サドヤの歴史

はじまり

1909年(明治42年)江戸時代より続く「油」佐渡屋を、洋酒 ビールなどの代理店「サドヤ洋酒店」に転業しました。
1917年(大正6年)、サドヤ洋酒店を営んでいた6代目今井精三が、ワイン醸造販売を手がけるサドヤを創業しました。
精三が長男の友之助と共に農場を開墾するまでの間、勝沼産ブドウから造る「甲鐵天然葡萄酒」を商標とする
ワインを醸造、販売していました。

 

苗木から本格ワインの製造を目指す

醸造用品種を植えている様子

↑1936年(昭和11年)開墾したサドヤ農場にフランスより導入した約40種類の醸造用品種を植えている様子。写真右が創業者今井精三

ワイン造りをはじめた精三は、フランスのワイン文化を吸収しようと
長男の友之助にフランス語を修得させます。

フランスではワイン専用品種によるワインの醸造が行われていること、
地域ごとに気候条件にあったブドウ栽培を行っていること、
そのワインが地域の特産となっていること。
昭和を迎えた日本の食文化が将来、
欧米化していくだろうという見込みをもって、
昭和初期に自ら日本でブドウ栽培を行うと決断しました。

友之助は、フランスの苗木栽培家に手紙で連絡を取り、
ブドウの苗木を日本へ送ってもらうよう手配。
試行錯誤の末、甲府まで苗木を運び、
1936年には導入した苗木によるブドウ栽培に成功しました。

その後は栽培に成功したブドウから、
当時の日本ではまだ浸透していなかった本格辛口ワインの製造を始めました。
当初の売れ行きはかなり厳しい状況でしたが、
海外からの客人の多いレストランなどで取り扱いが決まったことで、
徐々に広がっていきました。

 

「シャトーブリヤン」の誕生

ぶどうの栽培が軌道に乗り始めたころ、日本は戦争に突入し、
1945年には戦火に巻き込まれ醸造場が全焼するという被害に見舞われました。

しかし翌年は好天に恵まれ、再建された醸造場で
極上のワインを作ることができました。

シャトー(Château)は、お城や畑、ワイナリー等を指し、
ブリヤン(Brillant)には、「輝き続けるように」の意味を込めて、
二代目となった精三の長男・友之助は、1950年、このワインを「シャトーブリヤン1946」と命名しました。

シャトーブリヤンのポスター

↑シャトーブリヤン第1号1946年産を発売した当時のポスター。フランスロマン派の先駆的作家でありグルメでも 著名なシャトーブリアン氏が最高級ステーキ、シャトーブリアンステーキをサドヤシャトーブリヤンと共に味わう様子が描かれています。

 

ブドウ造りが本当のはじまり

1936年に植えたブドウから納得のいく品質のワインが造れるようになるまで10年。
1946年産のワインをシャトーブリヤンと名付け発売するまで4年。
フランスのワイン造りを参考に始まったサドヤのワインづくりは、食事の中にあるワインを造ることを基本に続けています。
何より今のサドヤは、地域で大切にされてワインづくりを継承しています。
日本の山梨・甲府で造るサドヤのワインは、ワインが育くまれてきた背景を備えた、
日本ワインの味わいが楽しむことができる、他とは違うワインに仕上がっています。

 
Copyright(c) 2014 SADOYA ET CIE. All Rights Reserved.